八日目の蝉 the novel

八日目の蝉 the novel_e0001663_18294169.jpg見てから読むか、読んでから見るか・・・おおよその場合、読んでから見て「原作のここを何故飛ばすのだ。やっぱり映画より小説の方が・・・」となる。「ノルウェイの森」なんかはその典型。が、今回は先に映画を見て急いで小説を購入、あと何十ページまで読んでた本を放り出して読み耽ったパターン。珍しいことである。

で、その「八日目の蝉」小説バージョン。結論から言うと、色んな意味で映画の勝ち、と断定する。ま、元は角田さんの創作なので、監督がよく原作を咀嚼しての限られた枠に収めたのが映画、なんだけどね。後から小説を読んだせいか、余分で冗長なパートが目について仕方なかった。順序が逆だと感想も違ったとは思うけど。



まず、誘拐希和子バージョンと自分探し恵理奈バージョンを前後2篇構成としたのが小説。これをシャッフルして自由に時間を泳がせたのが映画。で、クライマックスへ向けての仕掛けは明らかに映画が勝っている。小説ではラストに来ている法廷のパートを冒頭に持ってきたのも多分大正解。

小説では、千草が恵理奈に接近してすぐ、自分はあのエンジェルホームで一緒だったマロンだと簡単に名乗る。映画では、怪しいマスコミとして近づいてきていよいよ決裂する瞬間に、告白という形で判明させ、同時に現在の千草のトラウマも暴く・・・ここ、大事な点。小豆島へ渡って久美の実家に雇われる設定は、小説(いったんラブホテルの住み込みとなる)の贅肉を削ぎ落としていて好ましい。

小説には無い写真館のシーン・・・ここ一番大事!・・・前後の展開から、こり入れるべきでしょ、と編集者の目で小説読んだな、と思うくらい。ラストだけは、一瞬でも年老いた希和子を出した小説の方が良いな、とも思ったが、これもひとつのaltanate、どっちもあるな、と思う。

結局、先に映像を見ているもんだから、本読みながら永作と井上と小池が浮かんでるのだろう。それだけ印象深い作品だったということ、映画も小説も。
by cegero116 | 2011-05-13 18:29 | 本の虫 | Comments(0)