芸術起業論

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今をときめくアーティスト村上隆氏の著書。以前、氏の作品「黄金のカッパ」がベルサイユ宮殿に展示され物議を醸した時に、うーむ…な記事を書いた記憶。この書を読んで尚、うーむではあるのだが、思想の片鱗にちょっと触れたような気がした…気のせい?

東北で美大に通う娘が興味をもってる、ってんで家人が真似して購入。「なんか、おとうさんとおんなじようなこと言ってるわよ」ってんで、私もちょいと一読。海外で絶大な評価を得ている氏とはスケール感がまるで違うが確かに同じ側の思想であった。読後、是非参考にしておくれとS保センセに貸し出す。…貸し出してしまったから詳細の記述を引用することができないので骨子だけ。

若者よ海外へ飛び出せとの叱咤はおいといて、何故自分の作品が評価され一億円で売れたのかを解説してくれている。芸術の本場は今もあくまで欧米であり、歴史の中での芸術の流れを徹底的に分析し、未来へ向けて新しい流れを創った者こそがアーティストとして評価される…と。言い回し多分ずいぶん違う。が、噛み砕くと「何が売れてきたかしっかりマーケティングした上で、次に売れるであろうものの推定を行う。」…砕きすぎ?

言われてみればごく普通のマーケティング論。自動車でも不動産でもうどんでも皆そうやって商品開発を行ってきた。この書では、アートとなった途端に売れることを考えるだけで邪道と見なす日本の芸術界を辛辣に批判している。生涯一枚の絵も売れなかったゴッホの生き方こそが芸術家の本分とされることに対して「ゴッホなんて耳切らなきゃ只の人」とはあんまりな…。

芸術界というよりも芸術教育への批判は批判というより攻撃に近い。何ら挑戦することなく「画壇」で禄を食みながら、自分達の縮小再生産を図る美大の教授と予備校の指導者たち。「日本の芸術界は予備校経営のために存在してる。」「予備校で技術磨いて趣味の世界で生きればよい。」…表現違うかも…でもあんまりな。

人様の資金で人様の命とも言える住宅や店舗などを扱わせていただく我が建築業界、であってさえ、「自分の好きな形を作り、清く正しく貧しく…」なんて教える先輩も居た。「施主?それがなんか建築に関係あるんか?自分のデザインを社内の設計会議で通せるかどうか、それが全てじゃ!」と言い切る日本最大の設計組織のエリートも居た。建築はアートと違うんじゃ!依頼主が満足してなんぼじゃ!と逆らいキレ続けてきたが、アートだって何ら変わることはないと言ってくれた村上さんに迷妄を拓いてもらった気分。

ダヴィンチだってミケランジェロだって、パトロンの意向を工房化した組織でで具現化してたからこそ後世に残ってる。パトロンなんて「どうだ、俺はこんな変なもの、誰も知らんものを大金払って買ったんだぞ。見る目あるだろ、金なんて腐るほどあるんだから。」…俗物だからこそ時代を作れた。現代にも居るじゃないか、芸術を育ててくれる俗物が!…そこまで上から見られんのが残念なワタクシ。

「どんな解説がついても、それが美しいかどうか…」の常識論は、趣味の工芸の好き嫌いに巻き込まれ、多分村上さんの前では木っ端微塵。この辺、私の建築への考え方とちびっと同期。「ほぅ、君は安藤忠雄が好きか。安くやってくれるなら安藤さんに下請けしてもらってもええぞ。」などとツッパってみたけど、これは虚勢、空威張りを超えてほとんどギャグになってしまった。気持ちは失うまい^^。

大きく違うのは、闘う道筋を示して未来のトップアーティストを育てようとしてる村上さん。と、皆さん素晴らしい才能をお持ちになりながら、机の前で電話見つめながら依頼を待ってる我が建築界の埋もれた人材たち…が、あんまり世に出てこない方が嬉しいんだけどなぁ、と姑息に考えてるワタクシ。…根っこは一緒なんだよ、恒産がないから恒心がないだけで。

面白かったから今日、「芸術闘争論」も買ってしまったぞい。
by cegero116 | 2011-11-20 19:00 | 本の虫 | Comments(0)