碁のある世界

およそ勝負事の全般について極端な才能の無さを自覚している。麻雀、将棋、囲碁、パチンコ等、技術の習得を要するものから、宝くじ、競馬、ゴルフの握りに至るまで、勝った記憶が殆ど無い。麻雀にいたっては、カモがネギしょってコンロに火をつけ、タレをかぶって鍋に飛び込むが如し。麻雀を社技とする(?)C興産の面々も気の毒がって最近お誘いが無い。(ま、逃げてるんですけど。)

中で、学生時代に出会い魅せられた「囲碁」については特にその上達なきが最も哀しい。当時は木谷一門全盛、石田、武宮、加藤の三羽烏に続き、小林光一、趙治勲がぐいぐい台頭してきていた頃。迎え撃つ林海峯、大竹英雄、重鎮坂田と藤沢秀行ますます健在、と、今思えば、戦国動乱の囲碁黄金時代だったように思える。

碁の何に魅せられたかというと、筋道に従って構築される盤上の美しさ、だと思う。自分が一手打てば相手も一手打つ。自分が壁を作れば、すぐ傍に敵の壁もできる。スキマを空けて打てば大きく囲えるが、手薄となり敵の侵入を許す。固く城壁を築き、いざ攻撃、と思っても時期を逸すれば戦線に立ち遅れ惨敗を喫する。原点が石取りゲームである以上、緻密に手を読み、目数を計算する理科系の努力が必要なわけだが、これを苦手とする私が上達できなかったのは蓋し当然ともいえる。

傾向としては、主に序盤の布石段階、目一杯に広げて薄っぺらな布陣を張り、中盤以降ほぼ攻められまくり。この石さえしのげば勝てたのに~、のパターンが多い。中盤、石の競り合いになり手の読み比べをすべき時に、どこやらの新聞・雑誌で見たカッコいい手(筋ばった手と言って最悪らしい)で墓穴を掘り、一瞬で全局を失ったことの何と多いことか。

泣き言を言うと、職場、家庭に碁敵がいなかったことが残念。10数年前、9路盤から囲碁の手ほどきをしたNK設計落合氏は、隣人福岡氏という格好の碁敵を得たおかげでめきめき上達。私はというと、星目置かせてた相手に、今や置石置いて打たざるを得なくなった。悔ぢいが、しょうがない。と言いつつ、次に打ったら絶対勝ってやる~、と闘志が湧いてくるのも好きな証拠。
落合先生、是非今度揉んで下さい。
by cegero116 | 2006-05-23 23:42 | My favolite things | Comments(0)