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朝から志摩のホテル500坪のフロアをひたすら歩き回り、へとへと。きれいに見えても色々あるもんだな建物なんて。このタイプの仕事は初めて、また新しいフィールドを開発できたと、棒になった足から感謝の言葉…二人じゃ無理です、Y社長!。

帰りは近鉄ストレス特急から、東京までたどり着く最終の新幹線に乗り継ぐ。写真は名古屋駅新幹線改札の中央にある待ち合わせ場所。
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私が高校の頃、ここにはタイルでできた壁画があり、「壁画前」で通っていた。30代を挟んだ頃、壁画は大きなディスプレイに姿を変え「ハイビジョン前」なんて呼ばれてた。今は…予備校の野立て看板に貸し出しとるな…民営化の産物?手前に時計のオブジェがあるから「時計前」か。伝統に拘らず進取の気質に富む名古屋人の柔軟さ…たまにしか名古屋に来ない者に不親切だぞ。東京なんか、どんなに場所変えてもずっと「銀の鈴」だ。

色んな時代の色んな思い出が詰まった名古屋。嗚呼、高校からやり直せたら、嗚呼30歳からやり直せたら…とは全く思わないが、あん時ゃなに考えて生きてたのかなぁ、と忘れようにも思い出せない…何も考えずにたらたらと歩いてたんだろうな。今日も一緒だな。
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海上自衛隊が、ソマリアの海賊対策に出撃するとな・・・すでに護衛艦や特別警備隊やらの船が訓練に出港したニュースが流れてた。「そういった訓練はこれまでいたしておりません・・・」との、きわめて自信なさげな防衛次官のコメントに不安つのる。・・・そうだよなぁ、釣り船一艘よけられない腕前で、百戦錬磨の海賊どもと戦えるのかいなぁ。「武器使用基準」を巡って神学論争するんだろうな、きっと。「居るだけで違うんだって!」なんて言ってた総理が居たな。気の毒なのは乗組員。

で、ニュースで見る「海賊」。どことなくロマンチックな響きとまるで違うな。食い詰めた難民の最後の生活手段。粗暴極まりない。とりあえず、タンカーに魚雷装備させてやれば解決するのでは?・・・暴論・・・可哀相な境遇のソマリア海賊はあとにして、あの凶悪海賊「シー・シェパード」を沈めてしまえれば爽快だぞ。

e0001663_1341765.jpgで、海賊と聞いて思い出すのはジョニー・デップではなく、そう、懐かしきあのメロディ「10センチ、20センチ、ローソク灯して行けますか~♪」→

ガラクータ、ドタバータ、ヤッホー、トウヘンボクの四人組。若山弦蔵の渋い声が今も鮮やかに聞こえる。テアトル・エコーの芝居で熊倉さんが出てくると、「いよっ、トラヒゲ!」と声をかけたくなる・・・そうです。ひょうたん島世代なのです。嗚呼、マシンガン・ダンディよ、魔女リカよ、センターバック・スコアボード・ランニングホーマー、なんてのも居たな。

・・・全然関係ない話になってしまった。
昨月より当社学生アルバイトさんが卒業制作に入り来てくれなくなったため、事務所カラの事態頻発。「いよいよ夜逃げしたか・・・」の悪評に、たまらず留守番をたのむ。

子供同士が同級だったご縁で、家族ぐるみでお付き合いさせていただいてるFさん、留守番というにはとんでもないキャリアのおばさん。申し訳ないことこの上ないのだが、これほど安心な方も居ない。・・・が、この方稀代の片付け魔。「なんでも捨てちゃうヒトなの。」とのたまって、存在そのものが伏魔殿か廃棄物庫のような我が事務所の掃除に手をつけ始めてくださった。

e0001663_17215381.jpg「2003年の請求書、要ります?」「宅急便の伝票、こんな何年分もどうするの?」・・・出るわ出るわ。極め付けが「こんな新聞が大事にとってあるけど・・・?」→

1997年の福島民友なる地方紙。なんでこんなもんが?と見ると、同年12月にオープンした「馬場の湯温泉若松屋旅館」の設計監理を担当し、そのオープン広告に名を連ねさせていただいた記念の新聞と判明。

「捨てていいでしょ?」に、「いやー懐かしいなぁ、ちょっと待っててね。」と読みふけり始めてしまう。こんなだから片付かないのだな。

広告以外の主要記事はと言うと、

・県公費の不正支出問題で特別委
・年金制度の負担と給付に関する改革案が年金審議会に提示さる
・地方分権推進委の勧告が政治と行政の強い抵抗で後退
・株式市況は自民党の金融安定化策と景気対策の行方を見極める展開
・知的障害者更正施設で職員による体罰
・会社崩壊、45歳過ぎでは他業種への再就職は難しい。バブルに踊ったツケ
・サッカーW杯、岡田監督ら現地視察に入る・・・

なんじゃ、これは今朝の新聞のニュースだと言われても信じてしまう内容ではないか。11年前、山一證券や北海道拓殖銀行の破綻など、不景気に喘いでいた時代が今と似ていると言えば言えるのかもしれないが、十年一日と言って済ませるには、あまりにも学習と成長がないぞ。岡田監督は関係ないけどね^^。

で、「段ボール箱買っといてね、思い出アルバム用の!」に素直に従うワタクシ。
本日は船橋にて、ご近隣への工事説明会。6月時に一度催しているのだが、来月から温泉掘削工事を控え、再度のご挨拶。前回80名近くの大入りだったため、気合を入れて資料用意するも、29名の不入り・・・別に不入りを嘆くことは無いのだが、既にご近隣に建設計画については周知が行き届いていると解釈する。

施設に対しては概ね好意的な印象、建てて売っ払っておしまいのマンション説明会との相違も充分ご理解いただいている模様。これも、人望篤き自治会長殿の、ご尽力の甲斐あってのことと、深謝す。

で、帰り際に驚くこと一件。ここ4ヶ月くらい頻繁に連絡を取り合っていた温泉掘削会社の役員Kさんが、私の高校時代の同級であることが本日判明したのだ。やや珍しい苗字のため、「ひょっとしたら・・・?」と思っていたが、それとなく出身校、愛知県立明和高校の名を確かめて確認、40年ぶりの再会となった。

先方も、そうではないか?と感じていたらしいが、確認に4ヶ月を要したのはやはり40年分の変貌か?中国残留孤児の身元確認が難しいわけだ・・・ちょっと大げさ^^。本日は時間の都合もありそのまま別れたが、それぞれがどんな40年を過ごしたか、語り合う機会を持ちたいものだ。
「部活水飲み禁止令盛衰史」なる記事を週刊文春で読む。どうでもいい統計数値を論じさせれば当代随一の堀井憲一郎氏の一頁エッセイ。今週はいつにも増して脱力の一編。

年代別のアンケート結果からから、部活中に水を飲むことが許されるようになったのは、1980年のポカリスウェット発売がきっかけだとか…ほんとかなぁ?まぁ、それは洒落で実際は熱中症や脱水症状による事故を踏まえて、運動中の水分補給の重要性が科学として浸透してきたからだろう。現代では8割が水飲みOKだとか。残り2割は剣道部で、お面が邪魔で水が飲めないから、と。・・・これも洒落だな^^。

しかし、アンケートに答えた中での最年長世代、1970年代に高校時代を過ごしたものとして、ほんのり苦くも懐かしい話題ではある。所属していた硬式テニス部は、まさにその禁止令下にあり、新入生は炎天下に何時間もボール拾いに水無しで立たされ、練習終了と共に水道の蛇口に全力疾走していた。よく熱中症で倒れなかったものだ…いや、自分が上級生になった時はこれを下に強制もしていたのだから、よく人殺しをせずに済んだものだというべきか。

思い出すに、これを理不尽に感じた記憶がない。勝負を決するのは辛さを乗り越える精神力、忍耐力なのだと本気で信じていたのだな。なにやら東條の戦場訓のようだが、伝統の発祥はたぶんそんなところなのだろう。

だいたい、「部活」という呼び方もしていなかった。同じようなもんだが、「クラブ」とだけ呼んでた。今の「クラブ」はディスコ進化形と聞く・・・クラブ通いの高校生、さわやかな印象がぁ!・・・いや、今のさわやかな高校生は、水道水も飲まないな。ペットボトルのガソリンより高い(リッター400円くらいするぞ。)ミネラルウォーター飲んでるもんね。

70年代の高校生の昔話でした。
んでもってRemember。米朝の「地獄八景亡者戯」。シモネタっぽいマクラから、名人上手の看板の中に「ん?桂米朝、近日来演?」なんちゅうくすぐりまで、NHKのおかげで思い出させて貰った。私のTV視聴のNHKシェアは相当高い。受信料拒否する資格はないわな。

e0001663_18423596.jpgLP裏表二枚組の大ネタ。今は亡き旧友T田君と京都安下宿にて繰り返し聴く。まだそんなに枚数持ってなかったから、おんなじネタを何回も何回も・・・おんなじとこでおんなじように笑う。のちに枝雀で聴いた時、はじけて素晴らしく感じたのも、教科書としての米朝あってのことと思う。

なっつかしいなぁ、CD買うてみよかなぁ・・・。
昨日のこと。町田より古い知人が我が社を訪れてくれる。古きも古し、ほぼ30年の知己。20代半ばの私は山梨で結婚式場を作っていた。知人M氏はそこの学生アルバイト。深夜、東京へ戻れなくなり、彼女とデートで東京へ向かうM氏の車後部座席に便乗したのが出会いだった。「いいことしてやがんな」といじけるお邪魔虫。

その後、T市で竣工した式場の最初の結婚式でめでたっくモルモット替わりを勤めたのがM夫妻、私は舞台裏でやはりいじけていた。不毛の20代・・・あ、30も40もか。

e0001663_0204811.jpgま、書き始めると長くなり過ぎるし、プライバシーにも関わるので省略するが、その後のM氏、波瀾万丈を絵に描いたような、まさにどん底から頂点までのジェットコースター人生。その中でも最大の人生の岐路が目の前にあると、相談にいらしてくれたのだ。どん底と頂点を両方見てたのは私だけだと仰ってくれ、男冥利ここに尽きる。

さりとて、私ごときの拙い人生経験では、さほど実のあるアドバイスができるわけでもなく、一緒になってうぅぅむと悩み、結果、思い切り背中を押してしまった。・・・良かったのかな?

場所は銀座のBRICK。ホテルマンとしてキャリアを積んできた彼の洋酒の知識はプロ並み・・・ではなく本物のプロ。名前の解らぬ注文に付き合って、思わぬ美味しい思いをさせていただいた。・・・おそらくは荒波に向かうことになると思う。心より健闘を祈る次第。
本日お昼に、携帯メールで大学同窓のN君の訃報を受け取る。昨年11月のT君に続き、僅か三ヶ月で二人の命を癌が持っていった。

50代半ば、癌年齢としては十分に若く、進行は早いと聞くが、N君も手術成功の報を聞いてからたった一年余。どのような想いを胸に逝ったかと、無念極まる。

癌なるもの、病と言うより人間という存在の業みたいなもので、他の死因無くば、人は必ず癌で命を落とすと聞いたことがある。但し、その時の享年は140歳だとも。…まだたった4合目、無常なり。

心よりご冥福をお祈りします。
こんな写真載せていいのかどうか・・・色褪せてる上に縮小してあるからまぁいいか・・・ダメだったら誰か言ってね。
e0001663_21134525.jpgT田君と言えば山行が連想される。極めてタフな山男。七難八苦をものともしない、と言うより七難八苦を呼び寄せる男であった。写真は上高地側より前穂高に挑戦した時のもの。11月だったか、私にとってはほぼはじめての山行。既にベテランだったTをリーダーに仰ぎ、未明に勇躍岳沢を駆け登る・・・駆けてはいけないのだな。

行ってみると、およそ初心者にはご無体な雪山と化していた。リーダー全く予想していなかったと見え、誰も冬支度なし。写真は撤退時に記念撮影したものだが、左下にごちゃっと固まって写ってるのは、もう一歩も動けなくなっているから。

何年後か、やはりTに誘われ剣岳へ。真夏の8月、よもや雪に追い返されることは無かろうと、勇躍室堂より登攀開始・・・中腹まで至る前に豪雨到来。進路を変えた台風の直撃に会ったのだ。道がすっかり無くなる中で、道を無視して直登を図るT。・・・私の脚力ではとても付いてゆけず、お願いして剣沢小屋(だったかな?)に避難。そのまま剣は断念、翌日、立山縦走して帰途に着いた。・・・あとで聞くと集中豪雨で道路完全遮断。山に孤立してたのであった。

結局、Tとの山行は登頂成功無し。他でもずいぶんな武勇伝を重ねたと聞くT、雪も嵐も呼ぶ男であった。
この前書きかけの思い出さらさら、続きです。古いアルバムを引っ張り出して、色褪せた写真をスキャン。18歳の少年三人砂丘に遊ぶ、の図。ちょっと恥ずかしいが思い切って掲載。真ん中が亡きT君。変わってない。18×3=54・・・この3人分を合わせた年齢になっているのだなぁ。
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何かとTとは「初めて」モノに縁があった。この旅も学生になって初めての旅。入学まもなく一緒に行った新京極の寿司屋。家族以外との初寿司屋。・・・当時はまだ回転寿司は登場しておらず、学生向けの安寿司屋でも、ちゃんとカウンターで注文して食べるシステム。皿には乗ってたけど、大人気分。

すべてにおいて「質より量」「大は小を兼ねる」が身上?のT、「こういう店ではな、大将の顔が見えんようになるまで皿積まなあかんねんど。」と私を導く・・・安いネタばかり頼んで、大将の顔が隠れるどころか、自立できなくなるまで積んだっけ。一皿4~50円位とは言え、貧乏学生が何故そんな金を持ってたのかは記憶に無い。